⛩『神社』と『お寺』の違いってなに?【後編】🔔
こんにちは!
今回は前回に引き続き、『神社とお寺の違い』【後編】となっております!
【後編】では参拝方法の違いや神社・仏閣で働く人などに関わることの違い。
そして『神仏習合』といった少し深いテーマにも触れていこうと思っています。
神社・仏閣、似て非なるものであればこそ『融合している』思想も存在します。
それに当たるものが『神仏習合』の部分だったりするんですよね。
是非最後まで読んんで行ってくださいね!
それでは!どうぞ!
目次
ここでは参拝方法の違いについて書いていきたいと思います。
神社の参拝方法は広く認知されていますが、
お寺の参拝は意外と知らなかったりするかもしれませんよ?
神社については補足として『こうしたらもっといい参拝方法』も書いておきます。
お寺の参拝 |
①お寺の場合も門の場合は『礼儀』として一礼をします。
②御手水舎がある場合は手と口を清めましょう。
(浅草寺のようにろうそくや線香が炊かれていた場合、その煙で清める場合もあります。)
③本堂の前で一礼をし、お賽銭を入れ、ぶら下がっている『がま口』を鳴らします。
④祈り終えたら『拍手』はせず『合唱』をして一礼。
⑤最後に門をくぐり振り返り一礼。
神社の参拝 |
①神社の場合『鳥居』の前で一礼。
(鳥居をくぐったら本殿でお参りを済ますまで後ろを振り向かない。失礼に当たってしまう。)
②参道の『真ん中ではなく脇道を歩く』。
(右か左は神社によって違います)
③御手水舎にて手と口を清めましょう。
④本殿にてお賽銭を入れ、『二礼二拍手一拝』の作法でお参りをする。
(この時合わせた手を少しずらすといい。神様に対する配慮として。)
⑤最後に鳥居をくぐり振り返り一礼。
【Check】
神社参拝における吉兆のサイン
①鳥居をくぐった時や参拝時に向かい風が吹く。
②神社内で動物や生き物などを見かける。
③突然天候が変わる。
④御祈祷と参拝のタイミングが重なる。
⑤結婚式に遭遇する。
⑥七五三やお宮参りに行き合う。など。
【Point】
・お寺のお清めは『お線香やロウソク』の煙を浴びる場合がある。
・お寺では『拍手』ではなく『合唱』。
・神社は真ん中を歩かない。(神様に敬意を払う)。
・色々な吉兆のサインがあるので注目してみてはいかがでしょうか?
ここでは神社・仏閣で働く人に関する違いを書いていこうと思います。
神社には『神主さん』『宮司さん』などがおり、
仏閣には『住職さん』や『和尚さん』などがいます。
また『祝詞』と『お経』の違いも説明します。
住職さん・和尚さん |
住職さんは読んで字のごとく『住んで働く人』のことを言います。
つまり『お寺に住み込みで働いている人』=『住職』ということになりますね。
次に和尚さんは『教えを説く人』という意味がありある程度の『高僧さん』の事を指します。
他にも仏教修行をしている女性を『尼さん』といったり、
基本的にお寺において修行者の性質のある方を『お坊さん』と総括します
神主さん・宮司さん |
神主さんの大きい意味合いとしては『神様をお取り次ぎしてくれる人』になります。
神社は『神の住む社』ですから、人と神様の『橋渡し』的な役割を担っています
ちなみに『神主』は一般名称であって、正式名称は『神職』と言います。
また宮司とは、その神社の責任者を務めている神職のことを指します。
神社を一般的な会社に例えると、神職は社員でその中の代表者が宮司ということです。
つまり、宮司は代表者なので各神社に一人しかいません。
『祝詞』と『お経』 |
基本的に『神社』で神職さんが唱えるものは
『天津祝詞』や『大祓祝詞』を代表する『祓詞』(はらいことば)という『祝詞』です。
邪を払ったり、魂を清めるために唱えられるとされています。
一方で『お寺』でお坊さんが唱えるものは『お経』です。
このお経とはいったい何か?
実はお経とは『お釈迦様の教えをまとめたもの』なんです。
つまり『悟り』を記したものを説く方法がお経であり説法ということになります。
ここでは『神仏習合』について説明していきます。
聖徳太子が仏教を政治に取り入れ始め、『神道』と『仏教』が一つになっていきます。
その中から『神仏習合』を象徴する思想がたくさん出てくることになります。
心身離脱説 |
この説は『神様も人と同じで解脱(煩悩から脱して自由になること)を望んでいる』という思想で、この説では仏様は神様の解脱を助けていると解釈されています。
これに大きく関わっているのが『神宮寺』です。
神宮寺とは『お寺と神社がすぐ近くにある』ものです。
これは神様の解脱を助けるためにお寺が建てられたという意味合いです。
神の為に仏があるという解釈に近い考え方です。
護法善神説 |
これは、『仏教の教えを神が守っている』と考える思想です。この象徴的なものが、
奈良時代に東大寺の大仏殿が建てられた時、同時に宇佐八幡宮の神も祀られました。
その理由が『八幡の神が仏教の教えを守るためにある』なんです。
これは仏の教えの中に神が在るという解釈に近い考え方です。
本地垂迹説・反本地垂迹説 |
本地垂迹説が『仏が化身として現れたものが神様』という説。
仏=本体 神様=仮の姿
反本地垂迹説が『神様が仏様に変わった』という説。
神様=本体 仏=仮の姿
【Point】
『神仏習合』により一つの思想になろうとするほどに『根本の違い』が出てしまい、
お互いの主張も出てくるんですね。これも『神道』と『仏教』が似て非なるものなんだと考えられますね。
では『神様』と『仏様』ではいったい何が違うのでしょうか?
それぞれ『神道』と『仏教』の成り立ちに沿って考えていきましょう。
神様 |
天照大神=太陽神
月読命=月の神
須佐之男命=地球の神
大綿津見神=海の神
大山祗神=山の神
など、【前編】で述べた通り『自然』=『神』の構図で成り立っています。
抽象的で人に対して施すというより『森羅万象の事象を司る』色合いが強く出ています。
仏様 |
薬師如来=病気を治す
不動明王=揺るぎない信念を与えてくれる
毘沙門天=戦に打ち勝たせてくれる
弁財天=才能と金運をもたらす
吉祥天=幸せを与える
など、具体的で主に『人に対しての施しや手助けをしてくれる』ものが多くみられます。
このようにして日本は『先祖に対する感謝の念』と『困った時は仏様にお願いする』という
『神道』と『仏教』両方の思想を併せ持つ不思議な国なんですね。
平安時代〜江戸時代まで『神仏習合』の時代は長く続いたのですが、
明治時代。廃仏毀釈運動が起こり『数多くのお寺』が壊されました。
この頃から『神道』と『仏教』はまた別のものとなり、今に至るというわけです。
いかがでしたか?
少し深い話になってしまいましたが、『神社』と『お寺』にはこんな違いがあったんですね。
またこんな話が出来ればいいと思います。
それではこれで!
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