【リサイクル】昔の日本はSDGsを実行していた!?完全循環型社会『江戸時代』【エコ】
-『遠きをはかる者は富み、近くをはかる者は貧す』-
(出自 二宮尊徳)
こんにちは。
最近、リサイクルや3Rという言葉をよく耳にするな。と思った事はありませんか?
これは様々な資源が枯渇しかけている現代において、
資源の資源の無使用(ルデュース)、再使用(リユース)、再資源化(リサイクル)
などを用いて、資源を循環して生活する社会
”循環型社会”
を目指す試みの一つでもあるんです。
これはSDGsの目指すべきターゲットにも指定されており、
限りある資源を循環ささせて、環境にも人にも優しい社会をつくる事を目的としています。
そんな世界全体が最善策を試行錯誤いて目指している、『循環型社会』。
実は僕らの住んでいる日本が、
”過去に目指すべき循環型社会をほぼ完璧な形で形成していた”
事はご存知ですか?
それが –『江戸時代』- なんです。
今回はそのエコ時代とも呼ばれる『江戸時代』が
”どんな循環型社会だったか”記事にしていこうと思います。
それでは最後までお付き合いいただけたら幸いです。
目次
今から数百年前の時代。
もちろん今の時代とは違い『エネルギー』という概念は存在せず、それに頼った生活さえも考えられてはいませんでした。
その為、当時の江戸時代では、もったいない精神のもと、自然界における恵、そして衣食住全てにおいてリユース、リサイクルが行われる完全な循環型社会だったのです。
・江戸時代が循環型社会になった時代背景
もったいない精神はあれど、なぜ日本が循環型社会に特化しているのか?
その理由の一つに鎖国が考えられます。
当時の日本は鎖国により、資源の出入りやエネルギーを生み出す西洋文明がありませんでした。その為日本は、生活に使うほぼ全てを、植物資源に頼らざるを得なかったのです。
この頃の日本人の思想には『資源は常に有限なもの』というものが根底にあり、資源の再利用や再資源化する循環型社会を形成することも生きていく上で当たり前の事だったのです。
それでは、当時の江戸の人々は
一体どのような取り組みをしていたのでしょうか?
①江戸に住む人々の取り組み
②江戸で商売をする人の取り組み
の二つに分けて見ていきましょう。
当時、江戸に住む人々は様々な知恵や工夫を駆使して生活をしていました。
その根源は『もったいない精神』図らずともそれが『循環型社会』を形成し、
自分たちにも環境にも優しい今目指すべき社会を作っていたのです。
・江戸時代の暑さ対策
①【打ち水】
江戸時代は寒さを凌ぐより暑さを避ける方が大変でした。
寒さは衣服を着込んだり、囲炉裏や火鉢を囲むことで解消できたが、
冷房機などのない当時では物理的に『寒冷』を産むことができない。
その中で生まれた知恵が『打ち水』です。
当時の人々は夕方になると打ち水をし、縁側で夕涼みをしていたという記録がある。
皆様も打ち水をしたことがある人はわかると思うが、これがなんとも気持ちがいい。
こういった工夫を当時の人は知っていたのでしょう。
②【風通しのいい設計】
当時の民家は間口を大きく、そして多くつくることで『風が最大限に通る』設計がなされていた。
家の立つ方向や玄関の向きなどにも気を配り、より涼しく、より日光が入る方角を選んでいた。
また、当時ポピュラーであった、暖簾なども日光を防ぎ風を通す工夫から生まれたものです。
この様に、気候に対して浪費するエネルギーを0で過ごす工夫を
当時の人々はしていたんです。
・着物を徹底したリサイクル
①【一切の無駄がない着物文化】
着物は、長い一反の織物からつくる為、他の国の様に”体に合わせて裁断”する事はしません。
半端な断ち落としがなく、サイズも調節可能。その為、長男次男と再使用でき、ボロくなれば寝巻き、おむつ、当て布、雑巾などと使っていき、最後は風呂釜の燃料などにされ、灰になっても畑の肥料や麹菌の増殖などに使われ、完璧で徹底した循環が行われていました。
・その他の工夫
他にも、当時は大量の資材と莫大な労力が必要だった建築では、
礎石の上に建築し、木材が水分を吸って腐るのを防いだり、床下を作りシロアリの発生を防ぐなどして、長く住める様な工夫がされていました。
食べ物も今とは違い保存する方法が乏しい為、その日食べれるだけ買うことで
無駄にする食べ物を少なくするなどして、もったいない精神は人々に深く根付いていました。
江戸の商人たちも同様、様々な循環社会を形成しています。
そしてこのシステムこそが、報酬となると同時に様々な社会貢献に無自覚ながら役立っているのです。
・厠(かわや)のシステムとビジネス
当時、日本のトイレ事情は他の諸外国と比べ非常に衛生的だったのはご存知ですか?
その理由は、排泄物に価値を見出し、それを循環システムに組み込んでいたからです。
発酵させた排泄物は非常に質のいい肥料として扱われていて、田畑をはじめとする農業が盛んな日本では、立派な資源として扱われていました。
だからこそ”汲み取る人””買い取る人”に需要が生まれ一大ビジネスになっていたのです。
当時の町にはそこかしこにトイレが設置されていて、排泄物が価値あるものとして使用されていたからこそ江戸が衛生的に保たれていたという『循環』が生まれていたんですね。
・ゴミも資源化し価値を見出すことで『無くなる』
当時の江戸の町は『ごみ』がほとんど落ちておらず、非常に衛生的な町だったと言われています。
それはなぜか?
その理由はゴミに価値があったからです。
例えば木屑は燃料になる為銭湯に売ることができますし、紙屑は再生紙の原料として買い取ってもらえます。それを仲介する『紙屑買い』や『木拾い』などがおり、立派な商売として確立されていたのです。
また他にも
・溶けた蝋燭を回収、再利用する業者
・壊れた傘を回収し修理し再販する業者
・肥料となる灰を回収し販売する業者
など。様々な今でいうリサイクル業が確立され、循環型のビジネスが成立していたんですね。
今回は『江戸時代の循環型社会』について記事にさせていただきましたが、
いかがだったでしょうか?
実は江戸時代の取り組みは理にかなっていて、
今のSDGsの取り組みをほぼ完璧に近い形で実践しています。
エコ、リサイクル、フードロス、水の安全、つくる責任。などなど。
もしかしたら、これからの地球をよくするヒントは、
私たちの”昔の時代”にあるのかもしれません。
-『温故知新』-
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