【続】江戸時代の釣りを掘り下げる|当時【流行っていた】釣りは?
以前にも書いた「釣りの歴史について」の記事。
日本では、縄文時代から遡り、狩猟・採集の時代から江戸時代あたりで「娯楽」へと変わり、同時に広く嗜まれるようになったのもこの江戸時代からです。
今回は、前回よりもさらに掘り下げて、江戸時代に「流行ってた釣り」を紹介したいと思います。
前回の記事はコチラ↓↓↓
【目次】
1.釣りの歴史と江戸時代の釣り
2.江戸時代に到来した釣りブーム
3.江戸時代に流行っていた釣りを紹介
4.江戸時代の釣り糸について
5.釣りは武士道だった?
6.まとめ
1.釣りの歴史と江戸時代の釣り
簡単に前回のおさらいから。
釣りのルーツは縄文時代の「狩猟採集」からだと言われています。
私たちの先祖は、生きるために魚を捕獲することに目的を置き釣りをはじめました。
この当時は釣り針なんてものは存在しないため、動物の骨や貝などを鋭く研いで釣り針の代わりにしていたそうです。
『この時代の「釣り」は生きるための手段』
現代では、生きるために釣りをしているというケースは少なく、あくまでも娯楽の一環として釣りは楽しまれています。
ここで気になるのが、いつから「娯楽としての釣り」が誕生したのかということですよね?
その答えこそが「江戸時代」なのです。
江戸時代は、長年の仏教思想の影響も薄れてきた時代で、殺生に対する考え方も緩くなりました。
そこで暇を持て余した武士が娯楽を探していたことなども相まって、「釣り」に対する関心が高まったとされています。
多くの武士が釣りに関心を持ち、江戸時代あたりに釣り人口は一気に増ることとなります。
2.江戸時代に到来した釣りブーム
娯楽として武士の間で「釣り」が楽しまれるようになった江戸時代。
この時代の武士たちは、時間をもて余すことも増え、武芸以外の文化に多く触れるようにもなってきました。
芸術の道に足を踏み入れる武士が多かったため、一部の武士からは
「釣りは精神を集中する鍛錬の一つ」
と武芸の延長的な捉え方をする考えも出てきたのです。
こうして徐々に釣りをはじめる武士が多く増え、人気を博しました。
加速するように江戸時代の釣りブームは、おもに武士の間で起こっていましたが、
女性百姓が釣りをはじめてから、釣りは一気に男女問わず大衆的な存在となるのです。
さらには背景には中国の周王朝を築き上げた偉人である「太公望」が釣りを愛していたことも、当時の時代では広く武士たちに知られていたので、
それに感化された武士たちが、太公望の真似をして釣りをはじめたことも、釣りブームが加速していった理由の一つだとも言われています。
また「魚拓」という芸術技法も、江戸時代からとられるようになったそうですよ。
このように江戸時代では、釣りという娯楽が大衆的に楽しまれはじめたことが伺えます。
3.江戸時代に流行っていた釣りを紹介
では実際に江戸時代に、どのような釣りが流行っていたのかについていくつか紹介していきます。
タナゴ釣り
タナゴは体長が5〜10cm程の小さな魚。
釣り竿は1m以下の短いものを使うため、ミニサイズの釣りです。
江戸時代には、タナゴ釣りが粋な趣味として大名たちの間で広く嗜まれるようになり、
とくに殿方や商人などのお金持ちに楽しまれることが多く、いかによい道具で釣りをしているかという観点も重要視されたそう。
釣ったタナゴを食べることはなく、純粋にタナゴを釣ることに魅力を感じる武士が多かったそうです。
こうして見ると、ほんとうに娯楽としての楽しみ方がされていたことが分かりますよね。
イカ釣り
現在では、各地でエギングというジャンルの釣りは大人気ですが、エギの起源は江戸時代にまで遡ることをご存知でしょうか?
エギは日本古来のルアーで、薩摩地方で発達したとされています。
『当時、薩摩の漁師が、明かりとして松明を燃やして漁に出たところ松明が海に落ちてしまったところ、
その落ちた松明にイカが抱きついた』
これをヒントにエギが考え出されたのです。
当時のエギは木材を削り、焼き色を付けたりしながら職人によって作られていましたが、
驚くべきことに、現代のエギの形状は江戸時代の頃とほとんど変わりません。
江戸時代から巧みな技術でエギを発明してきた先人たちは、ほんとうに偉大だと感じませんか?
ハゼ釣り
江戸を代表する釣り物と言えば、やはりハゼでしょう。
ハゼは江戸時代から多くの民に親しまれてきた魚で、徳川家康が発展させた江戸の濠などでよく楽しまれていたそうです。
汽水域に生息するハゼは、江戸の濠の中にも入ってくるため格好のターゲット。
ハゼ釣りのための船も出港しており、船釣りは富裕層である旦那衆の嗜みとして人気がありました。
旦那衆は、「和竿」などの道具にこだわる人も多かったようで、
この当時の職人たちは、旦那衆の細かい注文に応えるべく、ひたすら技術を磨いていたようです。
現在でも江戸の頃と変わらず老若男女に楽しまれているハゼ釣りは、伝統と歴史のある釣りの一つと言えるのではないでしょうか?
4.江戸時代の釣り糸について
続いては「釣り糸」を紹介します。
現代のように合成繊維からできた釣り糸なんてもちろんありません。
江戸時代では、半透明な糸「テグス」が普及し使われていたのです。
テグスは丈夫で半透明なので、釣りに用いるのにもっぱら都合がよかったそう。
テグスは中国に生息する「テグスサン」という蛾の幼虫が原料に使われます。
川の水が濁っている中国では、釣り糸としては使われませんでした。
主に薬といった日本の輸出用梱包として使用されることがほとんどだったのです。
テグスサンの体内の絹糸腺と呼ばれる部分を抜き出し、酢に浸して引き延ばすことでテグスは作られ、
・馬のしっぽ
・女性の毛髪
なども釣り糸として使用されていました。
大阪の漁師さんが目をつけ、そこから波及していった経緯があります。
現代ではナイロンやPEラインなどの合成繊維の釣り糸があたりまえに使用されていますが、
江戸時代の頃から先人たちは、さまざまなものを釣り糸に代用して使っていたのは驚きです。
5.釣りは武士道だった?
庄内藩(現在の山形県)では、磯釣りは「武芸の一種」だと推奨されていたという記録が残されています。
魚を敵の首に見立て、「釣りを勝負」と呼ぶほどだとか
庄内藩では、城下町から釣り場のある日本海の磯まで20キロ以上の険しい道のりを超えていくことが、
鍛錬の一環として認識されていたのです。
もちろん今とは違い、当時は徒歩しか移動手段がありませんでしたので、
庄内藩の武士たちにとって日本海の磯へ行くことが、どれだけ過酷な修行だったかは言うまでもありません。
とくにクロダイなどの大物を狙うことが武士道とされており、大物を釣れば釣るほど美徳とされていたようです。
こうして大物が釣れたら、魚拓を取り藩主に報告することで褒美が与えられるのです。
6.まとめ
いかがでしたか?
釣りの歴史を少し勉強するだけで、知見も広がりおもしろいですよね?
現代の釣りがあるのは間違いなく先人たちが釣り文化を受け継いできてくれたからです。
感謝しましょう!
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